ゆるり、のんびり

暮らすように歩き、歩くように暮らす日々の記録

本の森を歩く vol.4

なかなかダウンジャケットの出番がやってきません。

本の森を歩く。

 

さて今回紹介するのは、

読んだ後に「よくやっています、花丸!」

と書いたメダルを首から下げてもらったような気持ちになった本です。

 

中村シュフさんの「主夫になってはじめてわかった主婦のこと」。

 

この本は図書館のカウンター横に置いてあった。

毎月テーマがあって、そのテーマに沿った本を司書さんが選び、

カウンター横に置かれている。

今月のテーマは「働き方」。

そこで紹介されていたのがこの本だった。

 

主夫と主婦と思われる二人のシンプルでかわいいイラストの表紙が目に止まった。

読んでみたいと思うと同時に嬉しさがこみ上げてきた。

それはなぜか。

働き方というジャンルに主夫(主婦)の本が取り上げられていたからだ。

そう、わたしは主婦である。

 

 

「今、どんな仕事してるの?」

久々に会う友人からは決まってそう聞かれる。

「今は主婦してるから仕事はしていないんだ。」

決まってわたしはそう答える。

 

 

自分が主婦になるまで、主婦業も立派な仕事である、そう思っていた。

(今でも思っている。)

 

しかし、自分がいざ主婦になってみると、

「外で働く仕事」と「主婦の仕事」を無意識に区別している自分がいたように思う。

誰かからそう言われたわけでもなく、なぜだかわからないけれど、

知らない間にそんな気持ちになっていた。

だから、働き方の本の中に「主夫と主婦」が参加していたことが嬉しかったのだと思う。

 

著者の中村シュフさんは本の中で主婦や主夫のことを「シュフ」と呼ぶ。

この本のタイトルと著者の肩書が「シュフ芸人」となっているのを見た時はこう思った。

 

(芸人さんが主夫を体験してみて書いたエッセイなのかな。)

 

ところがとんでもない。

読み進めてみると、中村シュフさんはシュフのプロとも言える方であった。

 

そして、さすがは芸人さん。

シュフあるあるなエピソードを面白おかしく文章で表現していて、

読みながらクスクス笑ってしまう。

おもしろくて気に入った一節を音読して夫に共有してみたが、

あまり共感は得られなかった。

シュフにこそ、このユーモアがわかるのだろう。

 

 

でも、この本はシュフ以外の方にもおすすめしたい。

本の中で「主に家事を担当しているシュフ」ではない人のことを

「非シュフ」と呼んでいる。

そして中村さんは非シュフの人に向けて

シュフの心情やシュフ業についてわかりやすく解説してくれている。

シュフと非シュフとの間に時々(いや、頻繁に)生じる溝を埋めてくれる。

そんな一冊なのである。

 

ここではてな?と思うのは、

そもそもシュフと非シュフが存在するのは一体なぜなのか。

家族という一つのコミュニティを維持していく中で、

家の仕事を主に一人が担うという構造はいつ、どこから来たのだろう。

そして、女だから男だからという時代ではないが、

「家事は女が」という世の中のイメージは未だ拭いきれないような気がしている。

この本でもそう感じる部分があった。

(それに対する中村さんの一言がスカッとしてしびれるのです。大拍手。)

 

 

それらの始まりは化石燃料の登場と同時に起こったのではないか、

とわたしは考察する。

 

我が家では調理は主に炭、暖房・給湯は薪や竹を利用している。

以前はガスコンロ、灯油の給湯器やストーブを使っていたが、今のスタイルに落ち着いた。

そうなると、家事といえどもその仕事は多岐にわたる。

掃除・洗濯・炊事に加え、薪の調達、薪割り、炭づくり、煙突掃除など。

そして、後者の追加された家事を行うにはある程度の力が必要となる。

もちろんわたしにできない仕事ではない。

しかし、家族というチームで見た時、

得意な人が得意なことをする方がいいのではないか。

そうなると自然と力仕事は夫、掃除・洗濯・炊事は妻という構造が生まれる。

 

あの有名な桃太郎ファミリーもそうだ。

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯をしに行く。

そして、そこへガスや灯油が登場する。(桃太郎じゃないの?)

すると、今までおじいさんが担っていた仕事が一気に必要なくなり、

おばあさんがボタン一つでピッとすれば、あっという間にお湯が沸く。

ガスや灯油は買わないといけないから、

おじいさんはお金を稼ぐため町へ働きに行くのであった。

そうして、かつて主におばあさんが担っていた仕事だけが「家事」として残ったのである。

 

初めは「楽だな~。便利だな~。」と思っていたおばあさんも

それが当たり前になってくると、少しずつ心がわさわさしてくる。

「なんだか、家の仕事をしているのはわたしだけじゃないかしら。」

 

今まではお風呂に入りながら、

「おじいさんのおかげで温かいわ。ありがとう。」

と、火に薪をくべるおじいさんに感謝の気持ちを伝えていた。

しかし、今ではお湯を沸かすためボタンを押す。おばあさんが自分で。

 

便利な道具が登場すると一気に生活が楽になる。

家電や育児グッズなどたくさんの便利な道具が日々生まれている。

それは先人たちの知恵と努力の結晶なので、リスペクトするべきものである。

 

しかし、その一方で「これがあれば一人でもできてしまう」ことになる。

一人でできているように見える、ボタンを押すだけに見える。

でも、やっぱりそれを一人でするのは大変なことなのだ。

どんな道具も人手にはかなわない。

人がそこにいてくれるだけでありがたいことはたくさんある。

「おじいさん、どうか5分でもいいから早く家に帰ってきておくれ。」

おばあさんは今日もそう願っている。

 

 

 

中村さんの本を読み、客観的に自分が日々行っている家事について見てみると、

それは歴とした仕事なのだった。

(中村シュフさんと自分の働きは月とスッポンなのだが、

ここは絶対評価でいかせてもらう。)

それは頭ではわかっていたことだけれど、

改めて誰かにそう言ってもらえると嬉しいものなのだ。

 

シュフに仕事仲間はいないけど、

こうして誰かの家事・育児生活を知ることで、

「この海の向こうにはたくさんの仲間がいるぜ!」

とルフィのような気持ちになる。

 

 

シュフ仲間で忘年会がしたい。

家のことはぜーんぶ忘れて、美味しいものを食べてわいわいしたい。

シュフにも仕事納めという区切りがあってもいいのではないか。

そのツケは自分に返ってくるのだけれど。

 

 

おじいさんも、おばあさんも、桃太郎も、犬も猿もキジも、

今日もお疲れ様です。

よくやっています。花丸っ!!

 

 

 

 

おばあさんが便利な道具に振り回されていた日々↓

kamoshikahiking.hatenablog.com