ゆるり、のんびり

暮らすように歩き、歩くように暮らす日々の記録

丁寧な暮らしに憧れていた

丁寧な暮らし。

それはわたしにとって長年の目標だった。

 

その気持ちに拍車がかかったのが、映画リトルフォレストを観た20代前半の頃。

古民家で暮らし、自分で作ったり採ってきた食べ物を加工して保存して。

季節とともに移ろいゆく生きるための“仕事”がとても美しいと思った。

 

あの頃思い描いていた自分の理想の丁寧な暮らしと比べれば、

 

丁寧すぎるのではと思うぐらい今の暮らしは色々な季節仕事、日々の“生きるための仕事”がある。

 

丁寧すぎると書くと誤解を生みそうだが、

 

丁寧な暮らしを紹介する雑誌とかで見るようなおしゃれなものではなく、

丁寧度もかなり低いけど、

自分の基準からすると丁寧になった。ぐらいの「なんちゃっていねい」な暮らし。

 

そんな、なんちゃっていねいな暮らしをしていることがおもしろくて、楽しくて、うきうきしていた。

 

でも最近は妙に落ち着いている。

 

なんちゃっていねいな暮らしが嫌になったとかめんどくさいとか

そういうわけではなく、

憧れが現実になり、

現実にも慣れてきてそれが普通になった。

難しくなくなってきたのである。

 

感謝の気持ちはいつもある。

この恵みをいただきますという気持ちも

生かせてもらっているという気持ちも

それは初期の頃と変わらずあるのだけど、

 

もう少し新しい、難しくて今のわたしにはできない何かに出会いたくなったのだと思う。

 

今年はくるみを食べられなくてもいいから、

その何かを拾うことに時間を使いたい。